高知の磐座


土佐神社とさじんじゃ
高知県高知市しなね2丁目16-1


■ヒトコトヌシが投げたという礫( つぶて)石

 土佐神社は、アジスキタカヒコネを主祭神とし、 都佐国造の本拠地であった土佐郡(高知市)に鎮座している。 『日本書紀』天武天皇四(675)年3月2日の 条に、「土左大神 、神刀一口を以て天皇に進る」 とあり、 朱鳥元(686)年8月13日の条に は、天武の病気平癒を祈って、「 幣を土左大神 に奉る」という記述がある。これを見ると、天武 のころ、土佐神社の祭神は、トサノオオカミ(土 左大神)であったことがわかる。朱鳥元年8月13日 といえば、天武が亡くなるわずか27日前 のことだ。このころ天武の病は篤くなり、各地の 神社や寺に病気平癒の祈願をさせているが、神社 のなかで最後に幣を奉り、祈願したのが、トサノ オオカミであったという事実が注目される。
(『磐座百選』より一部抜粋)





御厨人窟みくろど
高知県室戸市室戸岬町6941


■空海の原点、「空海」が誕生した室戸の岩屋

 空海24歳の処女作である『三教指帰』の序に、 空海が修行した辺路が記されている。 阿国大滝の嶽にのぼりよじ、土州室戸崎 に 勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す。 また、空海の分身と思われる仮名乞児 の言では、「 金嶽 」と「 石 (いしづちの 峰」 にのぼって修行したとあり、空海が修行したと 伝わる場所が少なくとも4ヵ所確認できる。
 石峰は、四国の最高峰である石鎚山のことだが、 金巌は、吉野の金峯山 とする説と伊予の金山出石寺 とする説があり、ほとんどの研究者は金峯山 説をとっている。ただ、3ヵ所が四国の霊山であ り、金巌だけが大和の吉野山というのも疑問が残 る。やはり、四国にその地を求めるべきではない だろうか。というのも、仮名乞児が、「讃岐国多 度郡に仮住まいをしていて、まだこれぞという仕 事につかないうちに、24年の歳月が過ぎた」 と、それまで四国で暮らし、四国で修行してきた ことを語っているからだ。
(『磐座百選』より一部抜粋)




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